57年に大阪で生まれた綾戸智恵は両親の影響でジャズとハリウッド映画に囲まれて育つ。3才でクラシック・ピアノを始め、教会ではゴスぺルを歌い。中学に入るとナイト・クラブでピアノを弾き始め、17才で単身渡米。91年帰国後は、数々の職業を経験しながら、大阪のジャズ・クラブで歌い始めた。
98年に発売されたCD「For All We Know」がジャズ・ファンに与えた衝撃は計り知れなかった。それが、身長147センチ、体重40キロにも満たない当時40才の大阪出身の主婦綾戸智恵の鮮烈なデビューだった。そして、綾戸智恵の真価が100%発揮された弾き語りで制作された3枚目のCD「Life」は99年春発売と同時に大ヒット。現在の綾戸智恵のスタイルがこの時確立した。
以来、年間100本を超える公演チケットのほとんどが完売するために、もっともチケットの買えない歌手という称号を与えられている。01年、第51回芸術選奨文部科学大臣新人賞(大衆芸能部門)受賞。03年、紅白歌合戦で熱唱した「テネシー・ワルツ」が大きな話題となる。
お笑い芸人顔負けの爆笑トークを交えながら、ジャズ、ポップス、j-popなど幅広いレパートリーを巧みにとり入れた綾戸智恵の個性的なステージは、ジャズという狭い枠組みを飛び越えて、多くのファンを魅了している。
デビュー以来、その日の100%を出し切って休むことなく疾走した綾戸智恵は、08年7月、デビュー10周年記念コンサート終了とともに、母親の看護に専念するためコンサート活動を休止した。
一年以上母親につきっきりの介護を経て、09年9月、コンサート活動を開始する。
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